くまさんの冬眠。
新しい超特急、という前向きな言葉で表された
色鮮やかな6人は、とても華やかで美しくて、
紛れもなくわたしの大好きな人たちだった。
ただ、コーイチさんがいないだけ。
それだけだ。
たった1人いないだけなのに。
どうしてこんなに知らない人たちを見ているような感覚になるんだろう。なんだか現実味がなかった。
これから先もわたしは、この人たちを好きでいられるだろうか。
これから増えていくであろう新曲たちを愛せるだろうか。
一足先にラジオで解禁された a kind of love を聴いた。
怖かったけど、受け入れたかった。
少しでも前に進みたかった。
正直な感想を言うと、
ふたりで歌って欲しかった、と思った。
だって、絶対そのほうが良いもん。何倍も何百倍も。
ここはコーイチさんが歌ったらこうなるんだろうな、
こういう顔して歌いそう。ここ可愛いだろうなあ。
声、歌い方、表情まで、容易に脳内再生できた。
でも、タカシひとりで歌うその曲は、もの足りないわけでも、未完成なわけでも、これまでふたりで歌ってきた曲に劣っているわけでもまったくもってなかった。
すごく良い。ものすごく良い。めちゃくちゃに良い。
なにより、タカシに似合う。
まっすぐで真摯で綺麗な、人柄にも声にもぴったりな素敵な曲だ。大好きになった。
昨夜、明日MVが解禁されるとお知らせがあった。
少しわくわくした。
だけど、どうしても怖い気持ちが勝ってしまって、
全然喜べなかった。憂鬱で仕方がなかった。
きっと、映ることのないコーイチさんの姿を見てしまうだろう。はじめて曲を聴いたときのように、コーイチさんだったら、と思ってしまうのだろう。そんなの苦しいだけだ。それに、6人に対して、「足りない」と思ってしまうかもしれないということが、怖い。嫌だった。
3/9、朝8時。恐る恐る動画を再生した。
とんでもなかった。コーイチさんの入る隙なんてない。
かなしいくらいに完成されていた。
まるで、初めから6人だったみたい。
あそこに、あの空間に、
コーイチさんがいる想像が出来ない。
超特急はもう6人なんだ。
思い知った。
こんなに苦しいのに、そこには好きしかなかった。
大好きな表情、大好きな仕草、大好きな声。
大好きな笑顔。
わたしはこの6人が好きだ。
一人ひとりが、全員が、大好きだ。
何度も観て、聴いていくうちに、曲の中にコーイチさんを感じることもなくなっていた。
これはタカシが1人で歌って、5人が踊る曲なんだ。
ほかの何でもない。
でも、歌詞が、どうしても。どうしても重なる。
わたしはコーイチさんに、ずっと、こう思ってる。
届かなくてもひたすら、叫んでる。
わたしにはコーイチが、吉野晃一が必要だ。
超特急にも、本当は必要なんだよ。
きっと晃一さんにも超特急が必要だった。
だからどんなに辛くても、わからなくなっても、
今まで続けてきたんだと思う。
超特急は未来だ、と言ったんだと思う。
それなのにどうしてこうなってしまったのか、どれだけ考えてもわからないし、きっと一生知ることは出来ない。
だから、もうどうでもいいんだ。
戻ってきてほしいけど、戻ってこられるならこうなっていないだろう。
これから、超特急の、そして吉野晃一の未来が
本人たちにとって、いいものになればいい。
そしてその未来を、自分も感じていたい。
ついていきたい。ずっと見ていたい。
この先晃一さんに会える、歌が聴ける保証はない。
きっと歌い続けてくれるけど、いつになるか、
どんな形になるのか、なにもわからない。
先日の井出さんのライブレポートのどの記事にも吉野晃一のことが一切書かれなかったように、活動を始めてもなかったことみたいにされてしまうかもしれない。
不安でいっぱいで、毎日かなしくて、ぼろぼろだけど、
いつか絶対その姿を、たのしそうに笑う姿を、
全身を使って歌う姿を、また見ることができると信じています。
またふくふくになってきたみたいで安心した。
たくさん食べて、好きな歌をうたって、
いっぱい笑っていてほしいな。
大好きです。